療病院碑(読み下し文抜粋)
人にして疾病なるや、学ばんと欲すれば能はざるなり。人に?るいなるや、勉めんと欲すれども、亦能はざるなり。学ばず勉めざれば、何を以ってその才を殖やし、その家を富まさんや。夫れ、人材乏しくして民戸貧しきは、及ち国の病なり。
是の故に、施政の務めはいまだ民の疾病を除きて、その健康を保つより急なるは有らざるなり。我が府、維新の聖旨を奉じ、つとに種痘術を行ひ。駆除法を布き、遠く名医を海外より徴し、以って衛生医薬を改良し、まさに大いに救済するところ有らんとす。
(療病院建設の経緯建設の経緯・・・中略)
今より後、民の疾病を除きてその健康を保つは、難きことにあらざるなり。こひねがわくば、後の政をこの土に為す者、能くその始を思ってその終わりを善くし、敢えてこれを廃墜有ること莫く、欺民をして永く明治の皇沢にうるおはしめよ。困りてその顛末を記し、石に刻して以って後人に告げしめんとす。
明治十三年十二月 京都府知事 槇村正直