京都府立医科大学雑誌 京都府立医科大学雑誌

京都府立医科大学雑誌

京都府立医科大学雑誌の歩み

京都府立医科大学学友会雑誌を大正12年 第94号より『京都府立医科大学雑誌』と改題する。
大正14年6月10発行の京都府立医科大学雑誌第100号を「第百号記念増大号」として発行。

◎発足にあたって
専門学校から、医科大学への昇格に功績のあった学長兼院長兼内科教授、小川瑳五郎が大正15年(1926年)8月に退職し兵庫県立神戸病院の院長に赴任した際、本学へ寄附された資金をもとに、総説、原著、抄録、会報からなる純学術誌として京都府立医科大学雑誌を発足させた。

◎第1巻1号
「小川前学長の退職記念号」編集発行人:学術研究会会長 梅原信正教授(昭和18年の定年退官までその任にあたっている。)

昭和2年(1927年)から7年(1932年)までの間は1年に各1巻ずつ、昭和8年(1933年)~18年までは昭和16年を除いて、それぞれ年3巻ずつ発行されている。終戦の年の昭和19年(1944年)には2巻に減り、昭和20年(1945年)には発行されていないが、翌昭和21年(1946年)には薄いながらも42巻が発行されている。

昭和22年(1947年)には43巻が、昭和23年から24年にかけては44巻が発行され、その後次第に論文が増え、昭和29年(1954年)までは2年で3巻のペース、昭和30年(1955年)から36年(1961年)にかけては毎年2巻、そして昭和37年(1962年)からは現在の1年1巻が定着した。

第 6巻(昭和7年発行)  本学創立六十年 陞格十周年記念号
第37巻(昭和18年発行)  本誌休刊の通知
第41巻(昭和19年発行)  原著編と抄録編に分けられている(45巻まで続く)戦時下での投稿規程の変更を掲載。
などに特徴ある記事が掲載されている。
また、平成3年(1991年)10月 第100巻第10号が本誌100巻記念号となっている。